楽景blog -あんな事やそんな事-

庭師の仕事のあんな事やそんな事を書いていきます

街路樹剪定パート3

怒り過ぎてちょっと恥ずかしい楽景ですw


”やんなきゃよかったな”とか”削除しようかな”なんて思ったりしましたが
少しでも造園業の事を知ってもらうためには
嫌われても信じる道を歩きたいと思います
昨日怒った楽景も本当の楽景であることには変わりはないので
最後までこの記事を完成させたいと思います


勿論お題は”街路樹剪定パート3”


前回は造園屋を取り巻く外的”負”の部分を取り上げていきましたが
今回は我々造園業自体の問題です


大昔に遡ると庭師と大工というのは各御屋敷に雇われていました
建物を守る大工と留守居を預かる庭師
これらを入れることがステータスだった訳です
衣食住の”住”以外は雇い主が世話してくれていたそうです


袢纏(はんてん)ってあるでしょ
あれも雇い主が職人に支給していて
家紋を入れた袢纏を渡し、庭師はその袢纏を着て他の御屋敷に行っていたとか
金持ちの見栄ですね
その他、お茶や昼飯等も雇い主が用意していました


御屋敷に出入りする他の職種の職人より、大工と庭師は位が上だった訳です
その名残が今も僅かに残っていて
なんていうか”殿様商売”的な感覚ですかね
それが悪い方向に向いていて、努力する事を怠っていると感じるわけです


時代は変わり、景気が悪くなると真っ先に切られるのが庭師
植木っていうのは形を気にしなければ、誰でも切ることは出来るからです
その流れで、簡易的な剪定で価格を下げるという”生き残り”だけを考えた施工店が多くを占めるようになっていきます


街路樹の剪定というのも、楽景から見れば簡易的な選定方法で
決して褒められるようなものではありません
”修業”が必要ない剪定です
実際、楽景が初めて街路樹の剪定をしたのが僅か2年目の時
現場責任者として施工に当たっていた訳です


剪定というものは、”勘所(かんどころ)”という、経験から覚える何というか絶妙なポイントがあります
枝先を詰める事により芽を出させるとか、枝を切り替えるとか、枝の向く方向をコントロールするとか、多くの”技”的なものがあります


街路樹の剪定にはそういったものを必要とされていません
いかに短時間で”切った”と感じるようにするかがポイントで
庭師のあーだこーだは”うざったいご教示”なわけです


これは、実際楽景が施工したことがある街路樹(イチョウ)
もう15年以上前ではありますが
この時の単価は1本¥5.000
掃除、枝葉処分、ガードマン込です

同じく15年以上前に施工した街路樹
当時1本¥650


ネットで見積を出している植木屋を参考にすると
2.5m程度の庭木の剪定1本¥6.000です


どのような作業が強いられているかお分かりになるでしょうか?


例えば、庭師を志した若い人が、入社したのがこういった作業ばかりする会社だとしたら
教えてもらえるのはそんな剪定だけです
それが当たり前になってしまいます


他社との交流があり他のやり方を見ることが出来れば、あるいは本人次第で軌道修正も可能かもしれません
しかし、たまたま会社の居心地が良く、そこに他社との交流もなかったとしたら
それしかできない職人が出来上がってしまいます
ずっとそれが当たり前と思って何十年と…
ちょっとぞっとしますが、そんな人たちもザラな訳です


こうして社会の枠組みが庭師のレベルを低下させて
低いレベルの庭師にエンドユーザーが仕事を頼み
それが当たり前になると
エンドユーザーのレベルも下がる
庭の味方の分からないお客様は真面目に庭師として腕に磨きをかけている職人と楽景の言う”偽物”の違いが分からず、安い業者に依頼するようになる
負のスパイラルが完成します
庭師なんて大したことないと…


おそらく、街路樹剪定がしたくて造園業に入る人はいないと思います
皆、夢を持って入ってくる人達だと思います
入った会社が違っただけで行き先が大きく変わってしまう我々の世界
簡易的な剪定しか知らない人達も犠牲者です
前の世代の親方や社長達はもう何も手を打たないでしょう
大志を持って足を踏み入れる人達に残してやれるものは
ちょうど楽景位の世代が作っていかなきゃいけないんだと思います


自分がやっている時に理想が叶えばそれに越したことはないですが
楽景が想う庭師業界になるのは恐らく次の世代
繋ぎの役割、詰まんないけどしっかりやっていかないと
後に続く人達に余りに申し訳ない現状から抜け出さなきゃ
庭師って言葉すら残らない



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